若い地球と進化論

地球の歴史や人間の起源について考えるブログ

進化は事実だった?進化論の科学性について

日本では、進化は事実であったと考えている人が多いと思います。進化は事実なので、進化論ではなく進化学だという人もいらっしゃるようですが、その根拠はどこから来ているのでしょうか。進化論は証明されたのでしょうか、あるいは証明できるのでしょうか。今回は、進化論の科学性について検証してみたいと思います。

 

まず最初に、科学の定義について確認しておきましょう。文部科学省の前身のひとつ、科学技術庁のサイトには、科学について下記のように定義されています。少し古いですが、紹介します。

「科学」は、広義には、およそあらゆる学問の領域を含むものであるが、狭義の「科学」とは、とくに自然の事物、事象について観察、実験等の手法によって原理、法則を見いだす、いわゆる自然科学及びそれに係る技術をいい、その振興によって国民生活の向上、社会の発展等が図られるものである。

第3回 21世紀の社会と科学技術を考える懇談会(H11.5.26 科学技術庁)より

 

要するに、広義に言えば、全ての学問は科学であり、狭義には、実験によって原理・原則をみいだせるものが科学、すなわち、誰もが実験でき、その結果を得ることができ、その結果がが常に同じであるもの=原則をみいだせるものが、狭義の科学と言えるでしょう。

 

では、進化論は、広義か狭義かどちらの科学なのでしょうか。ここで「2つの科学」という考え方を紹介します。ひとつは実験科学、もうひとつは実験科学です。両者の特徴と違いについて、まとめてみました。

 

A) 実験科学(Operational Science)

① 実験によって原理・原則をみいだすもの。つまり「実験して観察し結果を得る」というプロセスが繰り返し可能です。前述の定義に従えば「狭義の科学」となります。

② 同じ方法で実験をすれば、誰がやっても同じ結果になり、その結果がでる確率は100%なので証明の科学ともいえます。

 

B) 歴史科学(Historical Science)

① 過去に何が起きたかを推測するもの。過去に起きたことは実験できない、つまり、原理・原則は見いだせないので「広義の科学」です。「現在観察できること」をもって「過去に何が起きたのか(=解釈)」についての「証拠」とします。創造論も進化論も「歴史科学」に分類されます。

② 過去に起きたことは証明できません。過去に何が起きたのかという「解釈」が本当に正しいかはわからない。「証拠」を見せられた人が、「解釈」について賛成か反対かを表明するので告白の科学とも言えます。ただし、注意点があります。

 

《証拠は、解釈抜きには語れない》

観察結果を解釈で色付けしたものが証拠です。解釈の正しさを示すために、複数の証拠が挙げられますが、賛成か反対を表明するのは、解釈に対してです。

 

《告白は、権威の影響を受けやすい》

証拠を提出した人の方が、証拠を見せられた人よりも、知識が豊富であるため、告白は、その人の権威に影響を受けやすいという特徴があります(例:大学教授)。

 

歴史科学の具体例を挙げてみましょう。

 

「尾骨は、人間が猿から進化したことの証拠である」という主張があったとしましょう。これを、歴史科学的に説明すると以下のようになります。

 

現在観察できるもの:突起物(尾骨)が触れること

過去に何が起きたのか(解釈):人間は猿から進化した

 

けれども、聖書を信じるクリスチャンであれば、「デザインが似ているのは、同じ創造主が造った証拠である」と主張するでしょう。説明は以下のようになります。

 

現在観察できるもの:突起物(尾骨)が触れること

過去に何が起きたのか(解釈):人間も猿も同じ創造主から造られた

 

となります。つまり同じものを観察しているのに、解釈が異なるために、証拠の持つ意味が変わってくるのです。

 

さて、十分に理論武装したところで実践編です。下記のような記事についてどう解釈したら良いのか、実際に考えてみたいと思います。

 

進化論を信じている人にとっては、進化論は事実だから当然、と思えるような記事ですが、私たちのようなクリスチャンにとっては、衝撃的な記事です。

先ほど、「証拠」について、権威の影響を受けやすいと言いましたが、まさに権威に圧倒されて、進化論は事実だったのかと観念してしまいそうですね。心の中の葛藤は、下の取調室のような状況ではないかと思います。

心の中で「進化論の権威」に圧倒されている図

 

歴史科学で学んだ知識を生かして、この記事の内容を詳細に検討してみましょう。

 

まず初めに「これは実験科学の記事なのか歴史科学の記事なのか」という点です。実はここが非常に重要なところです。というのは、実験科学なら証明可能、歴史科学なら証明不可能となるからです。

このことについては、後で詳しく考察しますが、記事が主張しているのは「クジラとカバの祖先は共通である」ことですから、過去に起きたことについての推測、つまり歴史科学となります。ですから、記事で「証明」という言葉が使われているのは間違いだということがわかります。

 

では、歴史科学的に掘り下げていきましょう。

 

「現在観察できるもの」は何かというと、牛、豚、羊など7種の偶蹄目のうちクジラとカバにしか存在しない遺伝子(レトロポゾン)が見つかった、ということです。

「過去に何が起きたのか(解釈)」は、牛、豚、羊など7種の偶蹄目のうち、クジラとカバが最も近縁で、約6~7000万年前に共通の祖先から枝分かれした、ということになります。

 

ですから、この記事を科学的に正確に書くとするならば以下のようになります。

「牛、豚、羊など7種の偶蹄目のうち、クジラとカバだけにある遺伝子がみつかった。これは、7種の偶蹄目のうち、クジラとカバが最も近縁で、約6~7000万年前に共通の祖先から枝分かれしたことの証拠である」となります。

 

元の記事では「クジラとカバは、約六千万~七千万年前に共通の祖先から枝分かれしたことが証明された」と書かれており、証明という言葉が使われなくなっただけで、だいぶ印象が変わったのではないでしょうか。

 

それでは、記事を書いたサイエンスライターは、なぜ「証拠」という言葉を使ってしまったのでしょうか。その理由には2つ考えられると思います。

ひとつは、2つの科学(実験科学と歴史科学)の違いを知らなかった可能性、もうひとつは「現在観察できるもの=遺伝工学」は、誰もが実験して試すことができる実験科学だからです。実験科学の手法で歴史科学をやるという複雑性のゆえに、歴史科学の議論で「証明」という言葉が使われてしまったのでしょう。

 

今回のまとめです。

  1. 進化論は歴史科学。だから証明できない。賛成か反対かを告白するが、告白は権威の影響を受けやすい
  2. 同じものを観察しても、解釈が異なると、証拠の持つ意味が全く変わってしまう。
  3. 歴史科学で実験科学が用いられることがある。観察は証明可能だが、解釈そのものは証明できない。

進化や人間の起源に関する記事や番組をみるとき、今回ご紹介した歴史科学の手法を用いて、製作者の解釈に誘導されることなく、正しく判断するようにしたいですね。

 

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