若い地球と進化論

地球の歴史や人間の起源について考えるブログ

アダムの歴史性:アダムは実在したのでしょうか?

メリークリスマス!

 

今日は、イエス・キリストの誕生をお祝いする日です!

 

先週の土曜日から今日にかけて、カトリックプロテスタントなど宗派を問わず、どこのキリスト教会でも、クリスマスを祝うイベントが行われました。参加された方も多いのではないかと思います。

 

クリスチャンにとってはもちろんのことですが、実は、クリスチャンではない方にとっては、クリスチャン以上にイエス・キリストの誕生(クリスマス)には特別な意味があるのです。

 

それは、最初の人間であるアダムの堕落によって人類に入った「罪」が、聖書によれば、最後のアダムである「イエス・キリストによって贖(あがな)われ、全ての人類の罪が赦されたからです。(聖書をお持ちの方は、新約聖書の「コリント人への手紙第一」15章45節をご参照ください)

 

そして、イエス・キリストが、自分の罪の身代わりとなって死んでくださったことを信じるだけで、アダムの堕落以来失っていた、神の子どもとしての権利をとりもどし、例え、肉体が滅びても、天国で永遠に暮らすことが約束される、のです。

 

最後のアダムである、イエス・キリストが歴史上存在したことは事実ですが、最初のアダムについては、どうでしょうか?

 

もし、最初のアダムが実在しなければ、「最後のアダム」という言葉に意味が失われ、聖書に書かれている「(最後のアダムは)生かす御霊となった」ことに実体がなくなってしまいます。

 

つまり、イエス・キリストがなぜ誕生したのか、クリスマスをなぜ祝うのか、という意味を考えるとき、アダムの歴史性は、非常に重要なことがらなのです。

 

というわけで、今回は、2004年にNatureという雑誌に載った"Modelling the recent commonancestry of all living humans(現存する全人類の、直近の共通祖先に遡る)"という論文についてのレビュー"Pedigrees for all humanity"を紹介します。

 

このレビューによれば、論文で明らかになったことは、

・人類のたどってきた移動の歴史をもとに、数式モデルにあてはめて検討した結果、現存する全人類の共通祖先は、2-3千年前に生きていた、ある個人にたどりつく。

・その個人から、さらに2-3千年さかのぼると、その時代に生きていた人全員が、現存する全人類の祖先であるか、現存する子孫を誰も残せていないかのどちらかである。

というものです。

 

以下、簡単に解説します。

私たちの親は父母合わせて2人、もう1世代さかのぼると、父方の父母、母方の父母、合わせて4人、というように、私たちの先祖は、さかのぼるにつれて、指数関数的に増えていきます。人口サイズが1000人だとして「ひとりの共通祖先にたどりつくためには、何世代(世代数=Nとする)さかのぼればよいのか」という問題を考えたとき、

N=log21000、N=だいたい10世代、さかのぼればよいとわかるのだそうです。

この式をもとに「現在の人口」と「世代交代の年数」を考慮に入れて計算すると、2~3000年前に生きていた共通祖先が求められるそうです。ここで注意すべき点は、当時、このひとりの共通祖先以外にも人間は存在していた、ということです。

さらに、このひとりの共通祖先から世代をさかのぼるごとに、共通祖先が一人、また一人と増えていきます(ちょうど砂時計のようなイメージでしょうか)。

最終的に(合計して4~6000年前)、当時の人口集団は、

a)現存する全人類の共通祖先となるか、あるいは、

b)今に至る子孫を全く残せていないか、

のどちらかに振り分けられるそうです。つまり、当時(4~6000年前)の集団の中に、現存する人類の一部の祖先という(中途半端な?)人は存在しない、ということになるのだそうです。

 

ちょっと難しいですが、ものすごく簡単に言うと、全人類は、およそ6000年前に生きていた、たった一人の人間によって始まった可能性がある、ということです。

また、聖書を文字通り解釈するならば、アダムが神さまによってつくられたのは、約6000年前と計算することができます。

 

以上の2つのことを考えるならば、現存する全人類の祖先は、アダムである、という可能性は決して否定できないのです。

 

原著は、本来有料ですが、下記サイトにて一部を読むことができます。

Pedigrees for all humanity | Nature